木島櫻谷略年譜

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1877(明治10)年3月 京都三条室町の商家、木島周吉の次男として生まれる(本名文治郎)

1893(明治26)年   今尾景年の門下。傍ら山本渓愚に学ぶ

1897(明治30)年   第1回全国絵画共進会「忠臣身を殺して主を救ふの図」出品。2等賞

1898(明治31)年    第4回新古美術品展「熊鷹」出品。2等賞

1899(明治32)年    第5回新古美術品展「走兎」出品。1等賞

1899(明治32)年    第2回全国絵画共進会「瓜生兄弟」出品。3等賞9席

1899(明治32)年    今尾景年社中第1回展「喜剣羅良雄図」出品。

1900(明治33)年    第6回新古美術品展(京都美術協会10年回顧展)「野猪」出品。2等1席

1901(明治34)年    第7回新古美術品展「剣の舞」出品。2等賞5席

1902(明治35)年    第8回新古美術品展「咆哮」出品。2等1席

1902(明治35)年    後素協会例会「月下狸図」出品。

1903(明治36)年    第5回内国勧業博覧会「揺落」出品。3等賞

1903(明治36)年    全国絵画共進会「逸題」出品 銅牌

1904(明治37)年    第9回新古美術品展「桃花源」出品。2等賞1席

1905(明治38)年    第10回新古美術品展「古来征戦幾人図」出品。4等賞1席

1905(明治38)年    木島櫻谷屏風展を御苑内元博覧会場で開催

1906(明治39)年    第11回新古美術品展「奔馬」出品。

1907(明治40)年    第12回新古美術品展「田舎の秋」出品。2等3席

1907(明治40)年    第1回文展「しぐれ」出品。2等賞

1908(明治41)年    第13回新古美術品展「渡頭」出品。

1908(明治41)年    第2回文展「勝乎敗乎」出品。2等賞

1909(明治42)年    第14回新古美術品展「獅子」3等賞1席

1909(明治42)年    第3回文展「和楽」出品。3等賞

1910(明治43)年    第15回新古美術品展「満叡烟霧」3等賞1席

1910(明治43)年    第4回文展「かりくら」出品。3等賞

1911(明治44)年    第5回文展「若葉の山」出品。2等賞

1912(明治45)年    後素協会春季小品展「収穫」出品。

1912(明治45)年    日本美術工芸社主催全国絵画展覧会「雨中山水」出品。

1912(明治45)年    京都市立美術工芸学校 嘱託教員となる

1912(明治45)年    第6回文展「寒月」出品。2等賞

1913(大正2)年     第18回新古美術品展「武陵之春」出品。

1913(大正2)年     第7回文展の審査員となる。「駅路之春」出品。

1913(大正2)年     現代大家新作展(東京)「柳堤図」出品。

1914(大正3)年     美術新報社主催新画展「桜下泛丹」出品。

1914(大正3)年     第8回文展「涼意」出品。

1915(大正4)年     大阪曽根崎演舞場貴賓室の絵画完成

1915(大正4)年     京都市立絵画専門学校及び同美術工芸学校の教員

1916(大正5)年   第10回文展「港頭の夕」出品。

1917(大正6)年   第11回文展「孟宗藪」出品。

1918(大正7)年   京都絵画専門学校(現京都市立芸術大学)教授となる

1918(大正7)年   第12回文展「暮雲」出品。

1920(大正9)年   第2回帝展審査員になる。

1921(大正10)年   第3回帝展 審査員となる。「松籟」出品

1922(大正11)年    日仏交換展 「しぐれ」出品。

1922(大正11)年    第4回帝展 審査員となる。「行路難」出品

1924(大正13)年    第5回帝展 審査員となる。「たけがり」出品

1925(大正14)年    京都市立絵画専門学校を退職

1925(大正14)年    第6回帝展 審査員となる。「婦女三趣」出品

1926(大正15)年    第7回帝展 審査員となる。「遅日」出品

1927(昭和2)年     第8回帝展 審査員となる。「灰燼」出品。

1928(昭和3)年     第9回帝展「えもの」出品。

1929(昭和4)年     第10回帝展の審査員になる。

1930(昭和5)年     第11回帝展「望郷」出品。

1931(昭和6)年     第12回帝展「画三昧」出品。

1932(昭和7)年     第13回帝展「角とぐ鹿」出品。

1933(昭和8)年     第14回帝展「峡中の秋」出品。

1934(昭和9)年     大礼記念京都美術館美術展覧会に銓衝委員となる。「苔むす庭」出品

1934(昭和9)年     明治神宮聖徳絵画館の壁画完成。こののち体調を崩す

1935(昭和10)年    文部省より出品無鑑査(新文展)の指定受ける

1938(昭和13)年11月3日     不慮の事故で急逝。享年62歳

1940(昭和15)年    財団法人櫻谷文庫 設立認可を受ける

1941(昭和16)年    財団法人櫻谷文庫主催 木島櫻谷遺作展を京都美術館で開催

1987(昭和62)年    財団法人櫻谷文庫 京都市美術館 毎日新聞社共催で「没後50年木島櫻谷展」を京都市美術館で開催

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