木島櫻谷とは―公益財団法人 櫻谷文庫

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 本名は文治郎。1877(明治10)年、京都・三条室町の商家に生まれる。

 16歳の頃、当時京都画壇の大家であった今尾景年に師事。円山四条派の伝統を組んで写生を基本とし、師風を受けて花鳥、動物画を中心に作品を残した。一方で、儒医・山本渓愚について漢籍を学んでいたことから、故事や史実にも通じ、人物画・風景がにも優れた技量を発揮して画域を広げた。

 1907(明治40)年に文展が開設されると、第一回文展にて二等賞となったのをはじめ、第六回までに二等賞を四回、三等賞を二回と連年上位入賞を果たし、竹内栖鳳や菊池芳文に続く世代の中で注目される作家となった。
 1913(大正2)年、第七回文展では審査員に就任。1919(大正8)年、帝展と改組されてからもしばしば審査員を務める。

 晩年の櫻谷は、新しい日本画の方向性を模索する若い作家が多く出た時代の中で、一人漢籍に親しみ、筆硯に専念する「画三昧」の日々を過ごした。享年62歳。

日本画家木島櫻谷について、昭和13年の美術雑誌「美之國」に掲載された追悼記事を
はじめ、いくつかの記事を「木島櫻谷関連の記事」にアップしています。