当時の衣笠の様子


 櫻谷は、1913(大正2)年、36歳のときに御池両替町から葛野郡(かどのぐん)衣笠村のこの地に引越してきました。30歳で第1回文展で「しぐれ」(東京国立近代美術館蔵)が最高賞で入賞したあと毎年連続入賞し、第6回文展で代表作「寒月」(京都市美術館蔵)が最高賞での入賞の翌年のことです。

 この地、葛野郡は嘗ては山背国葛野と呼ばれ、平安京遷都の延暦13年(794年)10月22日以降は山城国葛野と呼ばれていました。ちなみに平安京の北西は葛野郡、東北は愛宕郡(おたぎぐん)です。

当時の葛野郡は日本画の題材となる自然が豊かな地で、街中で生れ育った櫻谷は自然への憧れがあり、このような地を選んだのかもしれません。。

当時の葛野郡の様子(明治43年頃)双ヶ岡付近

当時の木島櫻谷旧宅(大正時代)


櫻谷がこの地に転居して4年後の1917年、衣笠村は京都市に編入されました。

葛野郡衣笠村の京都市への編入(朝日新聞記事)



この葛野郡(かどのぐん)は、平安京遷都よりも古くからの歴史があり、大正11年(1922年)に纏められた「葛野郡史概要」(慶応義塾図書館蔵)がありますのでご覧ください。

京都府葛野郡史概要(慶応義塾図書館蔵)

隣接する愛宕郡(おたぎぐん)も明治43年(1910年)に「愛宕郡村志」(慶応義塾図書館蔵)に纏められています。

愛宕郡村志(慶応義塾図書館蔵)